社長の流儀

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「箱屋を継ぐんだ」と言われたが、「何をしろと」は言われなかった。

一九二二年、木箱を作る『佐藤製函』として創業。佐藤敬一現社長が二年の丁稚を経て戻ってきたのを機に父親が新工場を設立し、『佐藤段ボール』に社名を変更してくれた。一九八八年、上山市への移転と合わせて『エスパック』となる。

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「社長に就任した日はですね、はっきり覚えていないんですよ。登記を見れば分かるんですが」

三代目となる佐藤敬一社長。本来なら〝生涯忘れない記念すべき日〞でもあるのだろうが、子どもの頃から跡取りを自覚し、経営する側の視点で仕事を行ってきた気概がうかがえる。

現場職からスタートし、運転手を経て、営業に。

「半年経った頃、あるお客様から〝お前息子か?〞と聞かれ、〝よく継いだな〞と。てっきり励ましの言葉をもらえるのかと思ったら、〝段ボール屋は能がない。値段だけさげて自分たちの首をしめて営業している〞というようなことを言われました。そして連れて行かれたのが、私どもがミシンの箱を納めている工場の中でした。効率よく箱詰め出来ない様子、積んだ箱の一番下が潰れて傾いている。〝もっと改善して、自信を持ってPRしたらどうだ。お前は今からの人間なんだから、値段を下げる商売じゃなく、商品価値で勝負しなさい。〞と言われたんです。」

二十二歳でもらったこの助言が、大きく背中を押すことになる。

『佐藤段ボール』は、学校の体育館二つを移設したバラック工場で、床面に生じる段差のため最新設備が入れられないという、商品を改良するにも困難な問題がいくつもあった。 包装設計を必要とする分野のお客様にマーケットを絞り込んでいく。

二十代後半を迎えた佐藤社長の選択だった。

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顧客を絞り込み、新たな業界へ参入。

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舵取りの先は弱電を扱う工業関係。ビデオデッキや照明器具など、繊細な部品の梱包だ。子ども時代から好きだった工作の才能も功を奏した。壊れないようどう保護するか。まさに量より質の付加価値を追求した提案ができる。アイデアもわき、人の真似はしたくないという性格も手伝って、エスパックは新体制へ大きくシフトしていく。

「前社長である父とはよく喧嘩をしました。だから私は優等生ではないんです。最後はお前に任せると言わせてしまった感じでしょうか。」

佐藤社長の趣味はスキー、サイクリング、カメラ、ガーデニングと多彩だが、中でもカメラを手にするようになったきっかけは、「仕事では言い合いになることも多かったので、せめて親子の時間を持てたらいいなと思いましてね。」

父親と同じ趣味を共有し、北海道や京都など、一緒に撮影旅行へ出かけた。「今ではケンカもなくなりました」と、いくらか寂しそうに、互いに血気盛んだった時代を懐かしむ。

 

4代目と共に、さらなる新機軸を樹立。外装から内装へ。

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一九八六年の円高以降、労働集約産業はどんどん海外へ移り、物流センターだけが山形に残る企業も増えた。その影響を受け、東南アジア市場において現地ではまだ対応出来なかった特殊緩衝材の分野で輸出コンテナ出荷台数が県内トップになった。しかし、業界大手の参入により長くは続かなかった。

これまでの弱電系の仕事が海外へと流れてしまったため、新たな分野への参入が必要となり、外装から内装へ事業の拡大を目指している。また、パッケージに付帯するディスプレイや販促支援の提供なども視野に入れ、オンデマンドで売り方までの提案を目指す。

もう一つの取組として、人材教育がある。料理でいえば、素材、調理法、盛り付けが分かる総合的な感性と、諦めない精神力。「お客様との信頼関係は、一度がダメでも二度三度と足を運ぶことで生まれるもの。継続によって得られる価値を知ってもらいたいと思っています。」

一番大切にしているのは〝自分自身に対する約束〞という佐藤社長。自らも県外エリアに営業同行し、率先垂範でその姿勢を伝えている。